私がハーバード大学医学部の講師を辞めた3つの理由

キャリア

私はハーバード大学医学部の講師として教育・研究に携わっていました。ハーバード大学は世界トップレベルの大学で、アカデミアで研究を続けるならこの上なく素晴らしい環境です。

このような環境で働く機会に恵まれたことに感謝をしていましたし、誇りを持って仕事をしていましたが、いくつかの理由から民間企業への転職を決意しました。

このような質問をよくいただきます。

なぜハーバード大学医学部の講師を辞めようと思ったのですか?

今回の記事では、この質問にお答えます。

アカデミアのキャリアパスは「普通」ではない

私が日本で研究をしていたころは、博士課程に進学すればアカデミアに残り続けるのが「普通」、民間企業に行くのはドロップアウトしたからだ、という雰囲気がありました。

私自身、博士課程に進むことを決めたときから、民間企業には行かず大学の教授になって一生アカデミアで研究をやっていくぞ!と強い意気込みを持っていました。しかし、アメリカに留学してから、その考えは少しずつ変わっていきました。

実はアメリカでも多くの学生が最初はアカデミアで自分のラボを持つことを目標にしてやって来ます。しかし、実際に大学院に入り研究を始めると、その目標は単なるキャリアパスの単なる一部で、実際は様々なキャリアパスがあることを知ります。

アメリカではキャリアは人生の一部で家族と過ごす時間を大切にする文化もあるかもしれません。例えば、結婚し、子供が生まれた方なら、民間企業に行くほうが高給ですし、ワークライフバランスも充実すると考えるでしょう。

確かにアカデミアで自分のラボを持ち、オリジナルの研究をすることはやりがいがありますし魅力的ですが、アメリカでは自分の研究をする中で何が自分にフィットするかを総合的に考え、ライフスタイルに合わせて柔軟に判断します。

また、日本と同様にアメリカでもアカデミアのファカルティポジションは非常に狭き門であり、「普通」ではありません。

データで見てみましょう。

少し古いデータですが、以下のグラフ(Schillebeeckx et al. Nat Biotechnol. 2013)はアメリカのファカルティーポジションの数(faculty positions)と博士号取得者の数(PhDs awarded)が年間でどれだけ推移したかを示したものになります。

毎年、博士号取得者の数が激増しているにも関わらず、ファカルティポジション(例えば大学の助教、准教授、教授の職)はほとんど増えていません。

つまり、年々ファカルティのポジションを得ることは難しくなっていているのです。(しかもこれは2013年のデータなので現在はもっと難しい)

以前、私が所属していたハーバード大学医学部の講座で新しい助教のファカルティポジション(Assistant Professor)を募集していましたが、そこには1つのポジションに100人以上が応募していたそうです。(しかもそのほとんどがトップジャーナルのオーサー)

1つのポジションに100人以上が応募するのは、このNatureの調査ともマッチしていますね。

The Scientific Century securing our future prosperityによると、博士号取得者が教授職につける確率は0.45%です。これでは宝くじに当たるようなもので、キャリアパスとは言えないでしょう。

アカデミアのファカルティポジションへの就職は明らかに「普通」ではありません。

研究費の獲得は熾烈

日本でも研究費の獲得は難しいので、これは想像できるかもしれません。ただ、アメリカ留学に来る日本人はアメリカ人と比べて既にハンデがあることを理解しましょう。

そもそも日本人を含め、アメリカ永住権を持っていない外国人ポスドクは申請できるグラントが限られています。

例えば、将来性のあるポスドクが獲得できるNIH F32 Postdoctoral Fellowshipは“U.S. citizen or permanent resident, with research or clinical doctoral degree.“と記載がされており、アメリカ国籍もしくは永住権を持っている学位取得者に限られています。

グラント獲得できることは、自分で研究してお金を持ってこられることの証明になるので、それ自体が自分のキャリアにプラスになります。これらグラントに申請できないという事実はアメリカのアカデミアでキャリアを築きたい外国人ポスドクには不利な状況になります。

ただ、アメリカ永住権を持っていない外国人が出せる数少ないグラントにはK 99や各分野の学会が募集しているグラントなどがありますので、これらにチャレンジするといいでしょう。

また、アカデミアで自分の研究室を持った後も、気を抜くことはできません。2021年に National Institutes of Health (NIH) はアメリカ政府から約$ 43 billion の支援を受けています。この数字は日本の研究費よりはるかに大きいですが、それでもアメリカでのグラント獲得は非常に競争が激しいです。

例えば、アメリカで有名なグラントR 01(ともしくは同等)の獲得率は約20%程度です。これはノーベル賞受賞者や長年研究をしているベテラン研究者も含めた数字なので、新しく研究室を持つ若い研究者にはより低い確率になります。

グラント獲得率の20%を高い、と解釈する人もいるかもしれません。しかし、グラントは獲得し続けないとラボの存続ができないことを考慮すると、多くの研究者が常にストレスを感じていることも事実です。

アカデミア職は経済的に不利

3つ目はお金の話になります。研究が好きなので普通の生活ができればお金なんか気にしない!と言う方もいるかもしれません。私もボストンに来るまではそのように考えていました。

しかし、ボストンの生活費は日本よりはるかに高く、給与が低いと普通の生活すらできません。

例えば、ボストン家賃は年々増加傾向にあります。2022年3月時点のZumperによると、一人暮らしで1 bedroomなら月々約2,700ドル、家族で暮らす3 bedroomなら月々約3,300ドル が中央値の価格になります。

また、子供の教育費も非常に高いです。CNBCのこの記事によると、マサチューセッツ州の保育園(Daycare)にかかる費用は年間で平均34,381ドル、つまり月々 約2865ドルかかることになります。

私の経験からも上記のサイトで示している家賃と養育費は決して大げさな数値でなく、妥当な相場だと感じます。これらはあくまで一例で、食費などの費用も一般的に日本より高くつきます(感覚的には1.5〜2倍)。

一方で、アカデミアのポスドクの給料はいくらでしょうか?

これに関してはNIHが基準を定めているのでここで誰でも見ることができます。

例えば、あなたが博士号を取得してすぐの研究者であれば、ポスドクの年収はおそらく53,760ドル程度になるでしょう。この表はあくまでNIHの基準なので多少の増減があります。

つまり、月々のポスドクの給与は4480ドルになります。ただし、これは税金が差し引かれる前の金額なので、マサチューセッツ州の税金、国の税金、医療保険、年金等が差し引かれた実際の手取り金額は3000ドル前後になります。

先ほどの3 bedroomに住むなら、ポスドクの給与ではボストンでは家賃を払ことすらできません。旅行や外食も難しくなり、貯蓄・投資に回すお金も残りませんので普通の生活は不可能ということになります。

お金が全てではありませんし、お金で幸せが買えるわけではありません。しかし、お金がなければ家族と普通に過ごすことができませんし、お金で避けられる不幸はたくさんあります。

最後に

いかがでしたでしょうか?

主に以上の3つの理由から、私はアカデミアのキャリアを見直しました。

この決断までに色々悩み、多くの時間と労力を使ったので同じような悩みを持っている人の参考になれば嬉しいです。

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