米国の創薬スタートアップ、調達資金の使い道

連載(日経バイオテク)

はじめまして。「ボストン在住バイオベンチャーで働くサラリーマンのブログ」の著者で、現在米国ボストンの創薬スタートアップで働いている寒原裕登(かんばら・ひろと)です。この度、ボストン界隈のバイオ企業の動向をお届けする新コラムを担当することになりました。

第1回は、ボストンの創薬スタートアップが、調達した莫大な資金を何に使っているかについて考えていきたいと思います。ご存じの通り、米国の未上場バイオ企業の調達資金は日本の未上場バイオ企業のそれよりも圧倒的に多く、数十倍であることが少なくありません。

例えばボストンに本社を置き、常染色体優性多発性嚢胞腎(ADPKD)を対象にバソプレシンV2受容体阻害薬の臨床開発などを手掛ける米Centessa Pharmaceuticals社は、上場直前の2021年2月、シリーズAで2億5000万ドル(当時の為替レートで約260億円、以下同)を調達しました。また、次世代のがん免疫療法の研究開発を進める米Odyssey Therapeutics社は、2021年12月、シリーズAで2億1800万ドル(約250億円)を調達することに成功しました。

これらの2社は、2021年、マサチューセッツ州における未上場企業の資金調達額トップ15にランクインしているので、バイオ企業の中でも調達額が多い方であることは間違いありません。しかし、2021年のマサチューセッツ州におけるバイオ企業の平均資金調達額が、5390万ドル(約60億円)であることを考えると、セクター全体が多くの資金を調達していると言えるでしょう。

実際、私が以前働いていた創薬スタートアップは、2018年、シードラウンドで1200万ドル(約13億円)を、その2年後には、シリーズAで5000万ドル(約53億円)を調達しています。この創薬スタートアップは、残念ながら、2021年に入って阻害薬の開発を断念し、会社を解散させることになりましたが……。

もちろん、同じバイオ企業であっても、企業の規模や基盤技術、事業モデルなどによって資金調達額も変わってきます。参考までに情報を付け加えると、私が以前働いていたバイオ企業は、アーリーステージで炎症性疾患を対象に低分子化合物の阻害薬を開発していた、従業員10人以下のとても小さな創薬スタートアップでした。

日本の知り合いからは、「そんなに多額の資金を調達して、ボストンのバイオ企業は何にお金使っているの?」としばしば質問されます。そこで、私が以前働いていた創薬スタートアップを例に挙げ、何に資金を使っていたかを簡単にご紹介します。

創薬には研究開発費が莫大にかかる

言うまでもないことですが、創薬研究にはお金がかかります。2020年3月、Journal of American Medical Association(JAMA)誌に掲載された論文によれば、2009~2018年までに米食品医薬品局(FDA)に承認された355品目の生物学的製剤を含む新薬のうち、研究開発費の情報が入手できた47社の63品目(18%)について調べたところ、それらの研究開発費用の中央値は、約9億8530万ドル(約1100億円)であることが分かっています。(Wouters et al., JAMA 2020)

約9億8530万ドルという研究開発費には、非臨床試験と臨床試験の両方が含まれています。私が働いていた創薬スタートアップは、臨床試験前に潰れてしまったのでこんなにお金はかかっていません。それでも、最も大きな割合を占めるのは研究開発費であり、全体の資金の約50~70%程度を費やしていました。

研究開発費には、社内で研究を行うための機器や試薬の費用だけでなく、研究開発を医薬品開発受託機関(CRO)などに外注する費用も含まれます。今やCROは、創薬スタートアップにとって非常に重要なパートナーであり、複雑な化合物の合成・分離・精製から、蛋白質の発現系の確立、アッセイ系の構築、ハイスループットスクリーニングの実施まで、幅広くの業務を外注するのが当たり前になっています。

またボストンには、米Harvard Universityや米Massachusetts Institute ofTechnology(MIT)など、有名な大学や研究機関が多いので、アカデミアとの共同研究も盛んに行われています。アカデミア発の技術や製品を基にした創薬スタートアップがアカデミアと共同研究をする場合、その際の研究費だけでなく、特許のライセンス料も支払う必要があります。さらに、創薬スタートアップの多くは、サイエンティフィックアドバイザーとしてアカデミアの有名教授や専門家をチーム内に迎えるので、研究開発費にそうしたアドバイザー料やコンサルタント費用が含まれる場合もあります。

オフィスやラボの賃料もバカにならない

通常、アーリーステージの創薬スタートアップは、専用のラボ(研究室)を持っていません。そのため、社内で実験データを取得するのに、シェアラボを利用するところが多いのが実態です。創薬スタートアップが数多く集積する、ボストンやケンブリッジのエリアでは、供給(土地は限られている)に対して需要(バイオ企業はどんどん増えている)が上回る状態が続いており、不動産価格が年々高騰しています。空いているラボスペースはほとんどなく、取り合いになっているのが現状です。

例えば、ボストンの有名なシェアラボであり、非営利機関が運営するLabCentralには、最大で月極の賃料が10万ドル(約1300万円)超というプライベートスペースもあり、「賃料だけで年間1億円はくだらない」なんていう場合もあります。さらに、CEOなどの経営陣には、別途オフィスが必要になるのでその費用もかかります。

高騰する人件費も避けては通れない

ボストンやケンブリッジのエリアは、米国の都市の中でも給与の平均値が高く、全米上位にランクインしています。例えば、ビジネスに特化したSNSのLinkedInによると、ボストンエリアにおける研究者(Scientist)の年収中央値は11万ドル(約1400万円)となっています。

研究者の年収がここまで高額になっているのは、ボストンやケンブリッジエリアにおいて、優秀な人材が企業間で取り合いになっていることが原因の1つと考えられます。給与が高いのは、従業員にとっては良いことですが、企業にとっては人件費が大きな負担となります。また、ベースの給与に加えて、ベネフィットとして、健康保険や医療費、個人年金の補助、有給休暇、賞与などを従業員に提供する企業がほとんどです。

上市済みの製品やサービス、不動産を持たない未上場のバイオ企業にとって、最も重要な財産は人材です。当然、優秀な人材を確保するため、企業はかなりの人件費を負担する必要があります。

こうした費用以外にも、企業を運営するのに必要な経費、例えばオフィスサプライ、コンピューターやそのセットアップ(IT関連)、企業が委託しているコンサルタントなどの費用もかかります。

いかがでしょうか──。今回は、私が以前働いていた創薬スタートアップを例に、調達した資金の使い道の全体像について解説しました。

ボストンでは、投資家から多額の資金を調達しても、創薬研究を進めるには莫大な資金がかかるため、結局すぐに使い切ってしまいます。次回以降は、一部の内容について、もう少し掘り下げて解説してみたいと思います。

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