勤務先が引っ越した“ネクストケンダールスクエア”とは?

連載(日経バイオテク)

私が働いている創薬スタートアップが、2022年10月にシリーズAを調達してから早くも1年以上が経ちました。創業当初は6人だった従業員は約30人に増え、プロ ジェクトも少しずつですが成果が見え始めて、会社は着実に成⻑していることが感 じられます。会社が大きくなるにつれて、当然、従業員のオフィスや実験に必要な 大型機器や設備などラボスペースも必要になってきます。

先月、会社がオフィスとラボスペースを拡大するため、“ネクストケンダールスクウエア“とも呼ばれているバイオテッククラスターのウォータータウンへ引っ越しましたので、本日はその体験記をお届けしたいと思います。

なぜウォータータウンが注目されるのか?

ボストンのライフサイエンステクノロジーの中心地であるケンダール付近は、既に製薬企業やバイオ企業などがひしめき合っています。そのため物理的にスペース が無く、地価が異常に高騰しています。交通渋滞もひどく、朝の通勤ラッシュに苛立ちを感じている人も少なくないはずです。

そこで近年では、ボストン郊外にラボスペースを拡大させる動きが加速していました。ボストン郊外にあるウォータータウンもその対象の1つです。ウ ォータータウンはチャールズリバー沿いにある街で、ケンブリッジからは⻄に5km 程度しか離れていません。車やバスの交通アクセスも良く、小売店やレストラン、オフィス、そして集合住宅が集まる一等地にあるため、非常に便利で魅力的なエリアと言えます。

実際、ライフサイエンスに特化した不動産会社である米Alexandria Real Estate社は、2021年、ウォータータウンのショッピングモールを1億3000万ドル(当時の為 替レートで143億円)で購入。ラボスペースにリフォームを計画しています。実はAlexandria Real Estate社はそれ以前からウォータータウンに目を付けており、ラボスペースの開発を目的に複数の土地を購入していました。

ボストン近郊に住んでいる方ならご存じかもしれませんが、ウォータータウンに は昔Russo’sという100年以上続く老舗のイタリア系スーパーがありました。しかし、オーナーがリタイアすることになり、2021年に土地を売却することが決まります。

オフィスやラボスペースを拡大させる動きが出ていたこともあり、4.8エーカー (約1万9500平方メートル)の土地売却額は、なんと3650万ドル(当時の為替レートで40億1500万円)でした。Russo’sは新鮮な野菜や果物、おいしいパン、ケーキ、惣菜などが買えるとても良い店で、私もひいきにしていたので、閉店の知らせは残念でしたが、まさにバイオ産業の発展を肌で感じた瞬間でした。2024年現在も、ウォータータウンではラボスペースの建設が着実に進んでいて、実際に多くのライフサイエンス関連企業が本社を構えています。

上場しているバイオ企業では、ピルビン酸キナーゼの活性化剤(一般名: Etavopivat)を開発している米Forma Therapeutics社(2022年にデンマークNovo Nordisk社が買収)、IRAK4の標的蛋白質分解誘導薬を開発している米Kymera Therapeutics社、ウイルス感染症に対する経口薬を開発している米Enanta Pharmaceuticals社などが挙げられます。これらはほんの一例で、上場バイオ企業のみならず、私の勤務先も含めた小さな創薬スタートアップもウォータータウンには数多く存在します。他にも、シェアラボで有名な米BioLabs社、プラスミドバンクとして有名な米Addgene社など、ウォータータウンにはライフサイエンス関連企 業が50社以上あり、今後も増加するといわれています。

このようにウォータータウンは非常に便利な立地にあり、様々な企業が集まる 「バイオクラスター」を形成しつつあることから、注目を浴びているのです。

2024年現在のラボスペース空き状況

創業間もない創薬スタートアップは通常、オフィスに加えてラボスペースが必要になります(もちろん、ラボスペースを持たずに医薬品開発受託機関(CRO)への 委託を駆使して全てデータを取るというバイオ企業もあります)。 スタートアップ 向けシェアラボの魅力とは?でも書きましたが、数年前までは有名シェアラボにス タートアップがすぐに入居することはできず、ウェイティングリストに登録して、 ひたすら待つしかありませんでした。

そこで私の勤務先は、創業初期にはシェアラボではなく他社のスペースをサブリース契約して借りていました。日本では馴染みがないかもしれませんが、サブリースはアメリカでは珍しくありません。大きなバイオ企業が余っているスペースを貸し出して賃 貸収入を得るのはビジネスストラテジーとして一般的です。この場合、秘密情報などの漏洩などに注意する必要はありますが、他社との情報交換やネットワークの観 点から、また実験器具・機器が不足や故障した場合に一時的に借りたりもできるのでメリットもあります。

さて、シェアラボの待機問題は、スタートアップの数に対してオフィス+ラボスペースが十分に確保できていなかったことが1つの原因でしたが、実はここ最近、 マサチューセッツ州全体的にスペースの空き状況はとてもよくなってきました。背景には、近年マサチューセッツ州におけるラボスペースの供給が過多になりつつあることや、バイオ市況の悪化で人員削減や解散を決めたバイオ企業が少なくないことが挙げられそうです。

2023年第3四半期のデータでは、ボストン・ケンブリッジエリアにおける空室率は過去10年間で最高の11.7%にまで上昇したことが分かっています。2021〜2022年には空室率がほぼ0%に近かった時期もあったので、状況はだいぶ解消されたと言えます。今後、この状況がどうなるかわかりませんが、ボストンに拠点を構えたい創薬スタートアップにとって、スペースが比較的空いている今はチャンスかもしれません。

バイオ企業に特化した専門の引っ越し業者も

ラボの引っ越しをすると実験に必要な器具や試薬はもちろん、大型機器なども動かさないといけないので、最低2〜3週間は実験ができません。ただ、私の勤務先の引っ越しでは、バイオ・ライフサイエンス企業に特化した専門の引っ越し業者に任せたので、搬送は比較的スムーズに進みました。

今までケンダール付近で働いてきて、イベントなど他の企業との交流機会も多かったので、引っ越しは少し残念ですが、職場までの通勤渋滞に巻き込まれなくなったという意味ではストレスが軽減されそうです。今後は、ウォータータウンで気持ちも新たに、引き続きイノベーティブな創薬研究に励んでいきたいと思います。

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