勤務先の創薬スタートアップがシリーズAを調達して……

連載(日経バイオテク)

 先日、私が働いている創薬スタートアップ、米Matchpoint Therapeutics社が、シードとシリーズAを合わせて1億ドル(約137億円)を調達し、正式にローンチしました。

 これまでMatchpoint Therapeutics社は、ステルスモードと言われる状態でした。ステルスモードとは、競合他社などにアイデアを盗まれるのを防ぐため、どんな技術を有しているか、どの程度資金を調達しているか、どんな創薬標的を狙っているかなど、自社の情報を外部に一切開示せずに、あえて目立たず研究開発や事業を進める状態です。中には、ステルスモード下では社名すら開示しないところもあります。

 実際、これまで私の所属は、米Atlas Venture社が立ち上げたスタートアップという意味である「Atlas Venture NewCo」となっており、社名も開示していませんでした。今回の正式ローンチに伴って、社名やウェブサイトが解禁され、私の所属は晴れてMatchpoint Therapeutics社になりました。

コバレントドラッグとは何か?

 現時点でパイプラインや基盤技術の詳細は開示していませんが、MatchpointTherapeutics社は、免疫関連蛋白質に対する共有結合阻害薬(コバレントドラッグ)を開発している創薬スタートアップです。将来、自己免疫疾患や炎症性疾患に苦しんでいる患者さんの治療薬として、優れたコバレントドラッグを届けられるよう日々研究をしています。

 コバレントドラッグは標的蛋白質の特定のアミノ酸残基と特異的に共有結合し、その機能を阻害する低分子薬です。この反応は不可逆的であるため、長期的な効果が得られる一方、標的蛋白質以外に非選択的に作用すると副作用の原因にもなり得ます。

 コバレントドラッグの歴史はとても古く、1890年代にまで遡ります。実は世界で最初のコバレントドラッグは誰もが知っている鎮痛薬の「アスピリン」なのです。アスピリンは、プロスタグランジン合成酵素(シクロオキシゲナーゼ)の活性部位付近のセリン残基をアセチル化することによって、その機能を不可逆的に阻害します。また、1928年、Sir Alexander Fleming博士によって発見された有名な抗菌薬の「ペニシリン」もコバレントドラッグです。このように、古くから存在し、現在まで使われている身近な薬がコバレントドラッグだったというのは、興味深いことです。もっとも、アスピリンもペニシリンも、偶然、コバレントドラッグであることが判明した薬剤です。

 しかし、ここ数十年で、既存の可逆的阻害薬に「warhead」と呼ばれる反応性官能基を付加することで標的蛋白質に対して選択的に結合するような化合物をデザインし、安全性の高いコバレントドラッグを創製することが主流となってきました。例えば、ブルトン型チロシンキナーゼ(BTK)や上皮成長因子受容体(EGFR)に対するコバレントドラッグがこれらの代表例でしょう。米AbbVie社のBTK阻害薬のイブルチニブや、英AstraZeneca社のEGFR阻害薬であるオシメルチニブは、2020年の売上高がそれぞれ84億3000万ドル、43億3000万ドルとなっており、どちらもブロックバスターです。

 近年では、ケモプロテオミクスプラットフォーム技術の進化に伴い、コバレントドラッグに対する標的蛋白質の同定と選択性のプロファイリングができるようになってきました。この技術を応用することで、コバレントドラッグの創薬研究は急速な発展を遂げています。共有結合する低分子化合物ライブラリーを使ってスクリーニングを行うことで、どの化合物が標的蛋白質のどの部分に結合しているかが分かるため、強力なツールとして役立つのです。

 ケモプロテオミクスプラットフォーム技術のスクリーニングによって得られたコバレントドラッグの最近の代表例は、非小細胞肺がん(NSCLC)を対象に実用化した、米Amgen社のKRAS G12C阻害薬であるソトラシブです。ソトラシブは、KRAS上のこれまで知られていなかったポケット(クリプティックポケット)を同定すると同時に、KRAS G12C変異体を選択的に阻害することに成功しています。

 現在、米食品医薬品局(FDA)によって承認されているコバレントドラッグは50製品以上あると言われており、その数は今後も増えることが予想されます。実際、「コバレントドラッグ」に関する論文数は年々上昇傾向にあり(図1)、注目が集まっていることがわかります。

図1 PubMedに登録されている「コバレントドラッグ(Covalent drug)」の論文数

シリーズAの調達後に送られてくる怪しいメール

 シリーズAの資金調達を実施すると、調達した資金が一気に銀行に振り込まれるわけではなく、幾つかの“Tranche”に分けてマイルストーンごとに分割して振り込まれるのが一般的です。例えば、私が以前働いていた創薬スタートアップの米Quench Bio社(既に破綻)では、シリーズAで5000万ドル(約67億円)の資金調達を実施しましたが、3つの“Tranche”に分割されていました。投資家と会社間でキーとなるマイルストーンが事前に決めており、それが満たされると5000万ドルのうちの一定金額が振り込まれる仕組みです。マイルストーンが達成できなければ、Quench Bio社のように潰れる場合もありますのでシリーズAの調達後も気が抜けません。

 シリーズAの調達後に特に気を付けたいのが、迷惑メールや詐欺に引っかからないようにすることです。日本ではどうか分かりませんが、社名やメールアドレスは必ずどこかで漏れており、米国では資金調達のプレスリリースを出した後、必ずと言っていいほど怪しいメールやテキストメッセージが送られてきます。

 実際、知り合いの中にも、「シリーズAの調達おめでとう!もっと会社の話を聞かせてくれない?」といった類のメールが大量に届きました。また、「△△△△社の○○だ。話があるから今すぐ返信をしてくれ」と、個人の携帯電話に名前入りでテキストメッセージが届くことも頻繁にあります。中には本当に事業目的で送られているメールもありますが、注意が必要です。このような詐欺被害に遭わないようにするため、シリーズAの資金調達についてプレスリリースする際は、事前に社員全員に通達し、防衛措置をとっておきましょう。

 振り返ってみるとステルスモードから今回の正式ローンチまでに約1年半がかかりました。新会社を立ち上げる過程で、オフィス・研究室のセットアップ、創薬標的の絞り込み、アッセイ系の確立、創薬スクリーニング、ステークホルダーとの関わり方など、様々な経験ができたことを非常に幸運に思います。2022年は、今回で最後の記事となりますが、今後も引き続きボストンで得たバイオ企業関連情報を発信していきますのでどうぞよろしくお願いします。

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