従業員が最大限パフォーマンスできる環境がスタートアップにある理由

連載(日経バイオテク)

米政府は、2023年5月11日、新型コロナウイルスに関する「公衆衛生上の緊急事 態宣言」を解除しました。3年4カ月にわたるパンデミックが、ついに終了したので す。パンデミック期間中、完全な在宅勤務を推奨していた企業の中には、出勤を求 めるところも出てきているようです。企業文化にもよりますが、米国の多くのスタ ートアップは、在宅勤務と出社勤務のハイブリッド形式を取り、柔軟に対応してい るところが多い印象です。また、勤務時間も厳密に9〜17時と決まっているわけで はなく、個人的な用事がある日は在宅勤務にして、オンライン会議でコミュニケー ションするのが一般的です。

最近は日本でも、スタートアップの育成が推し進められているからか、「ボストンのスタートアップでは、どうやって組織内のコミュニケーションをしているの?」と、しばしば聞かれるようになりました。そこで今回は、創業初期の創薬スタートアップ内でのコミュニケーションについて書いてみようと思います。

まず、スタートアップのアドバンテージとして、社内の階層があまりない点が挙 げられます。私は大きな製薬企業で働いた経験はなく、ボストンではアカデミアの 研究室か創薬スタートアップでの経験があるだけです。そして、創業直後の創薬ス タートアップの従業員数は30人以下なので、CEOを含めた取締役レベルとVice President(VP)などの執行役員レベルの下は、Director、Scientistがいるだけ。

日本の大企業の方が、「組織内のコミュニケーションがうまく伝わらない」と悩 んでいたことがありましたが、ボストンの創薬スタートアップの強みの1つは、階層 がシンプルであることだと再認識しました。特に、大企業では中間管理職が何人も いるせいか、伝言ゲームで内容が正確に伝わらず、「最初のメッセージ」と「最後 のメッセージ」で内容がさっぱり変わってしまうことがあるようです。その点、ス タートアップでは階層が少なく、組織が小さい分、経営トップのメッセージが短時 間でダイレクトに伝わります。

会議のあり方も大企業とは違います。スタートアップでも、全体会議、部署別会 議、上司との1-on-1などが開催され、その点では他とあまり変わりませんが、フォ ーマルな会議は最小限で、かつ、それぞれの会議の目的や役割がとても明確です。 企業によっては、どの会議も非常に透明性が高く、取締役会など上層部での議論の 内容や資料を全社で共有するのが当たり前です。それにより、企業のゴールと自分 のゴールが明確になるので、自分が次に何をすればいいかが必然的に理解できると いうアドバンテージがあります。

私は生物学の研究者なので、バイオロジーグループの会議や担当しているプログラムの会議などで発表をしなければなりません。その際、同僚との会議では技術的な詳細を豊富に盛り込み、実験の詳細についても議論できるよう資料(スライド)を作ります。一方、上層部のメンバーを含む会議では、過度に詳細を入れずにハイレベルな情報のみを盛り込み、企業戦略の方向性を議論できるようスライドを使い分けています。

また、企業によって異なるとは思いますが、米国のスタートアップではフォーマ ルな会議だけでなく“インフォーマル“なディスカッションの場が豊富にあり、それ が社内の円滑なコミュニケーションを支えているように感じます。例えば、オフィス内でのチャット。スタートアップのオフィスはとてもこじんまりしていて、全員が同じオフィスで働くことが多いため、隣の席に役員レベルや上司、同僚がいるのでいつでも話をすることができます。場合によっては、メールを書く時間よりも、直接話しかけた方がスムーズにコミュニケーションできます。もちろん役員や上司が隣にいればプレッシャーもありますが、彼らと話す機会が多ければ、彼らの考えていることもよく理解できるので、私にとっては学ぶことも多くプラスの面が大きいです。

「通勤に私の車を使っていいよ」と言ったCEO

そして、“スキップレベルランチ“というCEOと1-on-1でゆっくり時間をかけてラ ンチをするという機会もあります。通常、数百人、数千人規模の大きな企業では従 業員が多すぎてCEOと直接話すことはめったにないでしょう。実際、大手製薬企業 に勤める同世代の人と話をしても、CEOと話をする機会はないと口をそろえます。

しかし、スタートアップでは人数が少ないため、CEOがあらゆる従業員と1-on-1 でキャッチアップをする場合が少なくありません。この場合、上司やマネージャー 抜きで会話をするので”スキップレベル”という表現になっています。その際は、 「仕事は順調?」「バケーションはどこに行くの?」といった決まり文句の会話も あります。ただ、「何か会社で足りないものはない?」「今、会社で困っているこ とはない?」など、従業員のパフォーマンスを最大限にするために会社に何が必要 か、を聞き出している場合が多いように思います。

例えば、私が入社直後に(当時、車を持っておらず)バイク通勤をしていて、 「雨が降るとオフィスに行くのが困難な時がある」といった時の反応です。半分冗 談で言ったつもりでしたが、「車が必要なら私は複数台の車を持っているから1台使 ってもいいよ。保険も入っているから、明日からでも大丈夫。」と即答でした。他 人の車で事故などするとややこしいのでさすがに断りましたが、私が仕事に専念で きる環境を作るためには何でもする、という強固な意志を感じ、とても衝撃的でし た。

従業員が提案したことは、細かいことでもリーズナブルであればCEOが秘書(ア シスタント)に伝え、すぐに改善が図られます。例えば、シリーズAの資金調達を 目前にして、まだ名刺がなかった頃に、「ステルスモードから解除されるので、今 後はネットワーキングに名刺くらい必要なのでは?」と提案したら、2〜3週間後には名刺ができ上がっていました。小さいことですが、こういったスピーディーな改善は、スタートアップならではです。

また、企業によって頻度は違いますが、週1回から月1回の頻度で夕方の時間帯 (4〜6時ぐらい)にハッピーアワーがあります。ハッピーアワーとは、通常レスト ランやバーなどで一定時間、ドリンクを安く提供することですが、職場でのハッピ ーアワーはオフィススペースを使った同僚との情報交換の時間です。従業員全員が 気軽に参加でき、ビールやワインを片手におつまみを食べながら日々の仕事やプラ イベートの話で盛り上がります。日本でいうところの飲み会に当たるのかもしれません。

しかしアメリカのハッピーアワーは軽く話をする、という感じでサクッと終わり ます。日本でよくある(今はないのかな?)2次会や3次会、そして〆のラーメン… などはありません。当然、強制ではありませんので参加する、参加しないは個人の 自由です。誰も「あいつが来てないな…」など陰口を叩かれることもありません。 日本人である私にとっては、英語や文化の壁もありますが、ハッピーアワーに毎回 参加することで徐々に職場の雰囲気にも慣れていきました。

特に、仕事上、あまりコミュニケーションを取らない他部署(私の場合は、ケミ スト、コンピューターサイエンティスト、財務、管理部門など)の従業員とも話が できるので、正式なミーティングでは時間がなくて聞けなかったことやマイナーな アップデート、また、メールでのやり取りでは物足りなかったことなどを軽くキャ ッチアップするにはピッタリの場所となります。こうした“インフォーマル“な情報 交換も、スタートアップでの円滑なコミュニケーションにとても役立っています。

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